戦争は基本的に市民の生命が犠牲になるもの
戦争を起こすものは
戦争の原因となるものは、他国の侵攻、当事国同士の国益の相反、政治指導者の断行、世論の要望と、様々な種類があるだろう。
原則的には軍人同士だけで行うものと定義されるが、標的となる軍需工場では市民が従事していたり、軍事拠点のみの攻撃といったとしても市民が無犠牲というのは不可能であろう。
犠牲となる市民は
相手国の国民の士気を挫く目的で、市民の生活地域への爆撃や侵攻や、見せしめ的に敢えて酷い虐殺方法をとられることすらある。
ウクライナ戦争でもそれが顕著だ。
最たるものは、我が国内で行われた東京大空襲、広島・長崎で行われた核兵器使用であるが。
日本人で真の反戦・抗戦を唱えてよいのは当事者世代のみ
戦争を経験していない世代がいくら反戦や抗戦を唱えたところで、魂の込められていない思想的空想活動に過ぎない。
自分や親族が戦死したり、生き延びたとしても戦争の為に人生を狂わされちゃ経験をし、多くの無惨な死骸の山を目の当たりにし、硝煙と血の臭いが入り交じる空気の中で呼吸をしている世代が唱える反戦と抗戦は魂がこもったものだ。
そして、それを主張する権利も有している。
現在マスコミで発言されている方々は善意による発言であることは理解するが、その言葉や心に魂を感じない空虚なものに聞こえる。
それは、実感がこもっていないからである。
ウクライナ戦争という目覚めと学びの機会
ウクライナ戦争で行われる残虐な行為とそれの上に立つ政治的思惑
ウクライナ戦争は大東亜戦争を経験していない世代が、戦争というものはどういう事態が発生し、それを主導する政治とはどんな考えのもとで指示を出すのかを学ぶ機会となる。
亡くなられた方々の死を無駄にしない為には、一方的な軍事侵攻に対してもそれ跳ね除ける日本、そして世界各国の防衛体制構築、世界全体の戦争抑止の仕組みを根底から考え直す礎とすることが大切に思う。
政治・軍事的な再構築は私達が選んだ政治家に国民のメッセージを強く届ける必要があるし、選ぶ際にもその姿勢が明確な候補者を選ぶべきである。
さもなくば、政治的思惑によって戦争という手段に近づけてしまう誤った政治、例えば同盟関係の軽視や軍事費の削減によって戦争リスクを高める勢力、また、同盟関係強化し自国を守るだけの軍事力を保持する方向へ舵を切ることを望む勢力、いずれに未来を託すかを見誤ることになる。
正常な判断を持つための国民の準備
私達国民自身が認識を改めなければ、先に挙げたような判断を行うことが難しくなる。
その準備として…
戦時中の生き残りの方の証言を書籍なり本人へお伺いし情報収集し、敗戦というものがどういうことを意味するのか、国民生活はどうであったのか等、リアルな情報を収集する。
現在行われているウクライナでの惨劇を、現地取材をしないテレビや新聞報道に頼ること無く、ネットを駆使して自分の目でしっかりと目に焼き付ける。
開戦、戦中、戦後、各国や国連がどのように振る舞ったのか、当該国民がどのように生活再建をしていくのか、私達の先達が大東亜戦争後に行ってきた事に重ね合わせながら注視することで、戦時中を体験していない世代にも追体験をさせて頂く。
その上で、反戦なり軍備増強なり、自分の考えを血の通ったものにしていって頂きたい。
戦争を直視する覚悟
ご遺体の映る動画
我々がウクライナ人と同じ視点に立つために。
以下に、二度と戻ってくることのない、無駄にしてはいけない命の最後の姿をご紹介する。
無辜の一般市民の姿である。
ご冥福をお祈りしながら、彼らが生きる権利を奪われた事を、自分自身や家族に置き換えて心に刻んで頂きたい。
ショッキングな映像なので、苦手な方や未成年の方の視聴は推奨しない。自己責任でご覧いただきたい。
↑1:15:36あたりから再生をクラマトルスクの駅の惨劇の直後(Twitterへの動画投稿)
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